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家訓 「人のことはうらやむな」

10月10日頃になるとこんな話を思い出しますなぜかというと・・・

親父(もうとっくに亡くなってますが)から言われていることがあります
「人のことはうらやむな 特に猫はな」

なんでこんなこと言い出したかというとこんな事件があったのです



親父の商売は音楽家です。といえばカッコ良いですが、ただの演奏家です
(楽器はトロンボーン)
歌謡曲の楽団や演奏会などで活躍していてフリーで仕事をもらってました
忙しい時は忙しいが暇な時は暇という自由業?です

時は昭和中期 東京オリンピックで神武景気真っ盛り日本中が沸いてました(と思う)

日本選手団入場行進 家からも見えた五輪マーク

振りかえってみてもその頃が一番忙しかったそうです
毎日毎日寝る暇も無く飛び回ってましたしかし本人は車どころか免許も持ってません
 
甲州街道折り返し地点 マラソンのアベベ

今でも甲州街道にあるマラソンの折り返し地点記念看板
金メダリストアベベや悲劇の人円谷選手も走ってました



その日も忙しくて昨夜からあまり寝ないうちに仕事です(時間が決まっていない仕事です)
本当に良い天気で思わず、怠けたい気持ちになります(今ならその気持ちよく分かります)

と、屋根の上で猫が昼寝(朝寝)をしています 目が合って思わず

「おまえはいいな そうやって1日寝てればいいんだから うらやましいよ」

と言ったそうです勿論猫には通じる訳もなくニャ〜ンとあくびをしてました

その日も遅くなってしまったのでタクシーで帰宅です
家の近くまで来た時に対向車が不意に現れ避けきれずぶつかってしまいました

「交通事故」 です

昭和30年時代の銀座 神風タクシー

当時「神風タクシー」と言われていた銀座の混雑ぶりです
イメージ写真です まあこんな具合にぶつかったようです

昭和30年後半から景気も良くモータリゼーションも発達してきました
しかし当時はクルマの性能も扱う人間の技術もまだまだだったようです

都電上野線 安全地帯

街中にこんな都電(チンチン電車)が走っていました
道路の安全地帯「南佐久間町」今の「西新橋」です

雨の日なんか線路で滑ってバイクがよくこけてました
道路の真中に駅(安全地帯)があって車がぶつかって事故を起こします

「八波むとし」さんや「佐田啓二」さんが交通事故で亡くなっています(知っている方いますか)



あまり大きな事故ではなかったのですが運の悪いことに楽器のケースを小脇に
抱えていたのでケースの角で胸を打ってあばら骨を何本か折ったようです

すぐに救急車で運ばれ救急病院にそのまま入院です

その日のことはよく覚えていませんそのぐらいたいしたことなかったんでしょう
手術しなくてもよくギブスと湿布で固定して治療していたと思います

大分元気になってからのお話

胸のギブスだけの病人で他は元気しかも 治療費補償 などは総てタクシー会社持ちです

最初は気楽に入院生活を楽しんでいました でも窮屈な生活も段々飽きてきたようですし
今後のこともちょっと心配になってきたようです

ある日 チビッ子の私が見舞いに行ったところ
親父が 「昨日夢を見た 猫が枕元にきていうんだ」

猫のお告げ ウンニャ〜寝姿

「おまえ あの日俺を見て気楽でよいといってたニャ〜ン

おれも毎日気楽に寝ていたいなんて言ってたろう
そこで神様にお願いして毎日寝ていられるようにしてあげたんだ どうだ気分は」
こんな夢だったよ (笑)



そのときには実感がわかなかったですが後日 大人になって

人のことはうらやむな どんな人にでも 特に猫なんか見ても気楽でよいななんて思うな

あれはあれで苦労しているんだろうし屋根で寝れるようになるまでには
色々な競争や葛藤があったんだろうから
(笑)  と思うようになりました

 以来このことは家訓として大事に守っています(^^) でもうらやましい人って大勢いますよね


親父の思い出その2

「コロッケの思い出」 を作りました




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